行事、歴史

2023年 今年もよろしくお願いします。


先日、高麗神社に初詣でに行ってきました。


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12日だったので、さすがにすいてました。


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高麗の衣装が飾られていました。鮮やかで綺麗ですね。


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高麗神社は政財界から参拝者が多い強力な上昇運をもたらすパワースポットだそうです。ちょうど空には登り龍のような雲が!(すみません、写真ありませんが(;^_^A)。パワーを感じましたよ~!(^^)!。


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布川代表です!どうぞ今年もよろしくお願いします。


NPO法人スノードロップ スタッフ


#高麗神社#パワースポット#初詣#樹木葬#共同墓


お盆~お墓参り~


暑い中のお盆にたくさんの方々がお墓参りに訪れました。


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たくさんのきれいな花がお供えされてます。


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とっても可愛らしい精霊馬がありました。ちょっと見えづらいですが…。


皆さんは今は亡き大切な方と良い時間をすごせましたでしょうか。


 


 


 


 


「第9回合同供養祭」


過ごしやすかった6月17日日曜日、
第9回合同供養祭を開催させて頂きました。
今年は紫陽花の満開と供養祭が重なり多くの人々が金泉寺に来て頂けました。

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今年の催し物は雅楽のコンサートでした。

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普段ではあまり聴くことできない雅楽、いかがだったでしょうか?

年々、TVでの影響か金泉寺の紫陽花を見に来られる方も増加し、既存の駐車場では不足する事態となってまいりました。ご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、ご協力をお願いできれば幸いでございます。



スノードロップスタッフより


江戸の鞴祭


11月8日は鞴祭


鍛冶屋、鋳物、飾師などは火防や家業の徳に報いる為に、稲荷神を祀る。


未明には、蜜柑播きがあり、子供たちは朝早く起きて蜜柑を拾う。


「まけまけ拾え、鍛冶屋の貧ぼ」と云いながらである。


紀伊國屋文左衛門が嵐をついて蜜柑を乗せた船を


出航させた話は有名ですが、この鞴祭りで使われた蜜柑の為とも


云われるくらい、需要があったそうです。


 


 紀文
メタボンのブログ


 紀州蜜柑は香も良かったが、種が多く、明治以降は温州ミカンに取って替えられた。


歌舞伎 顔見世興行



 
11月に入ってしまいました。早いもので今年も残すところ約60日です。



江戸の11月1日は顔見世興行です。歌舞伎の大事な年中行事です。

11月1日から1年間にかけて芝居を打ちますが、それに出演する俳優たちが顔を揃えるのです。

江戸の女性の好きなものといえば「芝居・芋・・章魚・南京」と言いました。

芋は里芋でしたが後に薩摩芋に、南京とは南瓜の事です。

歌舞伎は女性の憧れで流行もここから多く誕生し、着物の柄もそうでした。


女性は歌舞伎を見るのを最大の喜びとし、


まして地方から江戸に出てきた女性などは必ず歌舞伎を観たものです。


俳優の高倉健のご先祖で宅子さんという方が九州福岡に住んでいて、


宅子さんも半年に亘る旅をし各地を訪れ、特に江戸と大坂では歌舞伎を3日連続で観に行ったものです。


尚、旅を記した旅日記も記し多くの歌を歌ってますが、題名を「東路記」といい、


高倉健さんが自宅にこんなものがあるけど字が難しくて読めないと、


日記を持参したのが本の誕生となりました。


当時の歌舞伎というのは、朝6時ころに開演し夕方に終わります。


女性は、歌舞伎を見るのも楽しみですが、衣装なども見るのも楽しみです。


前夜は殆んど徹夜状態で着物を選び、沢山用意して行きます。


大概が芝居小屋の隣にある芝居茶屋に入り、そこで着替えたり食事をしたりし、


午前中は出演するのは若手の俳優ばかりですから、やはり、午後になってからが真打ちが出てきます


それまで何回も出入りして居るわけです。


勿論、全員の客がそうできるわけではなく裕福な方だけですが、そうでない方は「か・べ・す」といわれ


土間席に陣取りお菓子や弁当や鮓を食べます。


現代では演劇中に喋ったりし食べ物を食べたりしたら顰蹙を買いそうですが


当時は、朝6時から夕方までのロングラン、まして土間席に陣取る方は食べるところが他にはありません、


俳優にとってはかなりうるさい事この上なかったでしょう。


 


弁当といえば歌舞伎で生れたものが幾つかあります。


助六弁当、幕の内弁当、そして鰻丼です。


鰻が美味しいのは誰もが知ってますが、やはり熱いうちに食べるのが尚美味い。


そこで熱いご飯の上に鰻を載せてみると大変暖かくて美味しい!


これなら歌舞伎の幕間にも食べることが出来ます。


幕の内弁当は、超大きなおにぎりが付いてます。


当時の人は1日に1人で5合、女性なら3合のご飯を食べたといいます。


「おにぎり」もそれを考えれば大きな、俗にいう赤んぼの頭くらいの大きさといいますが


それくらいのおにぎりがお弁当です。


ちなみに1日5合という量は、武士が藩などから支給される扶持の中で何人扶持というのがあるが


その1人扶持が1日5合です。


この量は明治時代に創設された軍隊にも導入され軍人も又1日5合となりました。


 


 


 


 


恵比寿祭



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江戸では10月20日は恵比寿講でした。


商家で商売繁盛を願い恵比寿様や大黒様を祭り鯛を供え飾ります。


親類などを招き、又、奉公人らも慰労し御馳走が出ます。


この席上では景気の良い商売の話をするのが普通で何万両といいながら席を盛り上げます。


又、この前日には、恵比寿講に必要なものを売る一夜限りの店が出ました。


「腐れ市」といいました。


当初は神棚や俎板、三宝、そして鯛、大根の浅漬けを売ってましたが、


段々、大根のべったら漬けを売るようになり、あまりに好評であったので


市の名も「べったら市」と呼ぶようになった。


 


 


 


鎌倉街道


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比企丘陵の比企とは鎌倉時代にはこの時代の豪族であったとされ、


一族から源頼朝の乳母となる者が出て頼朝に重用された一族でした。


又、この地には鎌倉を中心とする古道があり鎌倉街道といわれました。


鎌倉街道といえば、鎌倉7口といわれる切通しがあまりにも有名ですが


街道の一つ中道は比企を通る道で、この道を奥州にいる弟である源義経を征伐に


軍を差し向けたが、その本軍がこの鎌倉街道・中道を使ったといわれてます。


鳩山にある見晴しの里・妙光寺には義経の郎党で衣川で義経と一緒に戦ったとされる


熊井太郎の遺品があり義経伝説を今に伝えられ


「御攝勧進帳」別名「芋洗い勧進帳」の題で歌舞伎にも取り上げられています。


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江戸の七草


江戸の正月は8日までを松の内としていた。


正月が終わると6日の夜には、門松や松飾りは取り外します


「7日の風に当てるな」といわれていたからです。


又、町には「なづな売り」が回ってきます。七草のひとつです。


春の七草


1月7日は、人日です。


江戸城では若菜の御祝儀がある。


これも宮中の行事を真似たもので、古来より日本では、


年初めに雪の間から芽を出した若草を摘む風習があり、


これが七草の始まりで、邪気を払うと考えられていた。


「枕草子」にも「6日取り、7日食す」とあります。


 


7日の人日は、幕府の公式行事である5節句の内の一つでした。


人日とは、中国では、正月の1日から8日まで、鶏の日、狗(犬)の日、羊の日、


猪の日、牛の日、馬の日、人の日、穀の日としました。 


7日は人の日にあたるので「人日」としたようです。


そして、7日に7種の菜を羹にして食べると年中息災であると信じられていたのでした。


 日本では、寛平2年(890)に七草粥を食べたのが始まりとされてます。


前の日に、七草を準備します。


「せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」


 これら七草を俎板の上で叩くが、それがどの家も一斉に叩くので


町中騒がしいものだったという。


「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン」


   


 


江戸の節分


 



 節分というと現代では2月に行われたが、四季の季節の分かれ目という事であり、

立春・立夏・立秋・立冬の前日に行われ、現代では立春、江戸では立冬の前日でした。

由来は、他の行事と同様に宮中行事の一つでしたが次第に民間でも行われるようになった。

節分の夜に豆をまく風習は古く文武天皇(697~707)に悪疫が流行し

歳末に大儺(たいな)の式を行って災厄を祓った。

これが例になって毎年12月の最後の日に追儺の式が行われた。

所がいつの間にか一般の大みそかの追儺を節分の夜に行うことになり現代に及んでいる。


江戸では浅草寺が最初に豆まきをし、私大に庶民に広まったのが江戸中期の事だという。

豆はいり豆に限る。

家々の門口には、柊の枝にイワシの頭を刺して魔除けとし、一方では大声で豆を撒く。

「福は内、鬼は外」 しかし、中には違うところもある。


戦国時代、海賊で知られ海の大名で知られた九鬼家では、

「鬼は内、福は外」であり、当主が豆を撒いてる後ろで、

そのたびに家来が「さようでござる」と応え、

座敷では鬼用に正面に座を設け、膳には石の豆が置かれてる。

伝説では、鬼は石の豆をパクパク食べたという。


近い所では、武蔵嵐山の鬼鎮神社は、節分の時には、やはり「鬼は内、福は外」 という。


名の通り鬼を祭った神社からでしょう。


何故、撒くのが豆なのかというとはっきりしない。


「古事記」では、イザナギノミコトガが鬼を退治するのに桃を投げたという。


桃が鬼の嫌いなもので、古代中国では桃には霊力があるとされていたからでしょう。


でも、桃は高価なものだったので安い豆になったのかどうか判らない。

節分の豆まきは、「福は内、鬼は外」ではなく、


大体の寺は「鬼は内」と声を上げるのが普通です。

これは、浅草寺でも新勝寺でも観音様の前には、

鬼が存在しないからだということです。


庶民が聞いた厄払いは、古老の言によると

「あらら目出度いな目出度いな、

目出度いもので払うなら松尽くしにて払いましょう。

一夜明ければ御門に立てたる飾り松、


 上には鶴が舞い遊び,二にはにっこりと庭の松、


 三にさぬきの高砂の尾上の松、


 上には鶴が舞い遊び、下には亀が楽遊ぶ

その上に悪魔外道が走れ出て、さまたげ為さんとする所を

この厄払いがかい掴み西の海へ

サラリ、ヘイおめでとう」


 


 





厄払いというと、歌舞伎の「三人吉三巴白波」の舞台です。


お譲吉三の台詞


 月も朧に白魚の 篝(かがり)もかすむ 春の空

冷てえ風にほろ酔いの 心持ちよくうかうかと


浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で

竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両


舞台の袖から「お厄落しましょう。厄落とし、厄落とし~」厄払いの声である。


そこで、吉三がほんに今夜は節分か 

西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし 

豆だくさんに一文の 銭と違って金包み 

こいつは春から 縁起がいいわえ


 


 


 


 


 


 


 


江戸の大晦日


江戸の大晦日には、変な鳥が飛びます。


「借金取り」という鳥です。


町に定住しますと買物は多少高くても同じ町内でする。


買物は現金払いではありません。掛売りです。


勿論、ある程度住んで信用を得てからの話ですが、年に2回、6・12月の支払いで、


年末である大晦日の商家は徹夜状態で、売掛金の回収をします。


ところが無い袖は振れないと払えない家も出てくる。


そうした場合は取り立てる方は必死の覚悟で行きます。


「大30日 首でも取ってくる気なり」


迎える方も真剣です。


「大晦日 首でよければ やる気なり」


居留守の家もあり、雪隠に籠ってる家もあり、急病になる家もあり、


虚々実々の駆け引きが除夜の鐘が鳴るまで繰り広げられます。


 


又、大晦日には正月に家を訪れる三河万歳が江戸橋の袂で大夫が相方を探し雇います。


それが風習となっていて、見つかると特訓をして元日から仕事です。


烏帽子に素袍の大夫が大黒頭巾をかぶった才蔵の鼓に合わせて舞ったり祝言を述べます。


三河万歳は、最も古い角付け万歳で家に行き、千年も万年もと祝言を言い


舞を舞って御祝儀を貰うのです。江戸の風物詩でした。


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 少し日日は戻りますが12月28日に江戸城で大掃除が終わると将軍や御台所から


側近の者に「御納戸払い」という事で、品々が下賜されました。


 


 奥女中の大岡ませ子によると


「年中の召し物を下されます。


御年寄りは御紋付も貰います。葵紋の事です。


御年寄・御中臈は二つづつ貰います。


お次・御三の間は一品ですが、反物でいただきます。


御納戸払いは、上様付、御台所付の御中臈までくださいます。


私は、天璋院と御台所のを戴きました。」


 


将軍も同じように下賜した。


こうした場合は、出来るだけ身に着けていたもの愛玩の品々が喜ばれ


垢が付いていようものなら御垢付として名誉とされたのです。


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