真田丸 3-2
着物についての話です。
戦国の頃、主人公のおあむが13歳の時に着物を作ってもらい
18歳まで着た話をしました。
江戸時代、庶民が買うのは古着です。
まともな古着なら富沢町、怪しい一度着るような古着なら柳が原が有名でした。
日本橋の越後屋や白木屋などで新しいのを買うのは恵まれた人たちです。
こういう方には、大店は酒や御馳走を用意しもてなしたものです。
参考まで、江戸時代は、お店は間口を狭くとります。
いわゆる鰻の寝床です。
江戸の上水道は、玉川・神田上水など江戸府内を
全長43キロの水道を江戸市民100万の半分の人が利用していたという。
その水道代をだれが払っていたかと云うと表通りの大きな店でした。
水銀(水道代)や江戸っ子の好きなお祭り、火消しの費用は
表店が間口1間辺り幾らで負担を負担し町入用費として集めたのです。
水道代とは、例えば日銭千両と云われた呉服の越後屋自身が
使用する分だけではなく、それ以外の町内で使用する分も負担します。
それが表に店を構えた店が負うべき責任だったのです。
そういう方が町人と認められ、御城で行われる御能にも招待された。
ちなみに、 1両が銀60匁ですと、. 越後屋は間口30間(54m)でしたから
単純に月に銀300匁(5両)が. 水代となる。
5両というと裏長屋に住む3人家族なら、半年暮らせるお金でした。
ちなみに裏長屋に住む住民は、町人とは呼ばれません。
町人とは、税金を払う人の事を云い、仮に、奉行所に何か訴え事が
有る時でも、裏長屋の住民単独では訴えを受け付けてはくれないので
大家や名主などに同行を頼んで訴えを受理してもらう。
但し、同行を頼むのですから無料というわけにはいきません。
300文掛かります。
職人の日当分と同じです。
S
この記事へコメントする