真田丸 3-3
食事のお話です。
戦国時代は、武士の家でも雑炊がメインで朝と昼の1日2食でした。
武士の家でさえ雑炊なのですから、農民たちは推して知るべしです。
江戸時代に1日三食になったのは、禅宗の寺の点心(おやつ)が影響し、
コメが増産され、庶民にも安く行き渡るようになった。
但し、江戸では朝に一度に焚いて朝は熱々ですが、昼と夜は
茶漬けや湯漬けにしてました。
普通は1汁2采です。
参考までに米の値段は、100文(2500円)で1升買えるかどうかが目安で
米騒動が起きた時は、100文で3,4合しか買えなかった事が
打ち壊しに繋がったのです。
灯りも油が安い魚油(サンマなど)で煤と臭いがひどいものですが
手に入るようになってから夜も明かりをつけて暮らすようになり
1日が長くなり、食事を3食を摂るようになったものです。
但し、行燈の明るさは暗く、手紙や本などを読むには、
行燈の傍に行かないと読めないくらいです。
ロウソクは高価だったので庶民には買えませんでした。
かまどや魚油の出す煤と煙で家が汚れて困るので、年に1回大掃除します。
江戸城内が12月13日に煤払いをするので、それが市中に広がり
今の年末の大掃除となったのです。
大掃除が終わると、鯨汁を食べて
♪「目出た、目出たの若松さまよ~」と歌を歌い胴上げを行った。
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