真田丸 1
今、テレビで放映されてる真田丸とは、徳川と豊臣との天下を争う
戦いの場となった大坂の陣で豊臣方についた真田幸村によって
大阪城の出丸として作られた砦のことですが、同時代を生きた女性がいます。
彼女は長寿を全うして四国の土佐で亡くなりましたが、
晩年に過去を回顧し本になり「おあむ物語」として残り、
当時の世俗を知る資料として貴重なものとなってます。
女性の名は「おあむ」石田三成の家来として仕えた山田家の娘として生まれた。
三成の家来ですから、今の滋賀県の琵琶湖のほとりの佐和山に
居住してたと思われます
家は300石取りの侍ですから生活は豊かなほうだと思います。
この当時の食事というのは実に質素なものでした
これより少し後のことですが、徳川3代将軍家光の頃、江戸城で大名たちが
詰めていて、昼飯時に毛利家の殿様が弁当を開けると、中には
焼いた鮭が入っていて、それを見た大名たちが寄ってきて
これは珍しいものだといい、鮭を分けて食べたという有名な逸話があります。
それほど質素なものでした。
今でこそシャケ弁などと言われてますが、世が世なら大名たちも喜んだのです。
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