八朔 1
八朔とは、八月一日(朔日)を縮めて書いて、はっさくと呼んだものです。
旧暦の8月1日は、徳川家康が江戸城に入城した日として江戸時代は最も重要な行事でした。
江戸城は太田道灌が築いた城として有名ですが、家康が入城した頃は
海が城の近くまで来ていて、日比谷のあたりは海であったと云います。
秀吉が家康の旧来の領土である東海道周辺から未開の武蔵野・江戸に移封させることにより
家康に新領土の経営に専念させて力を削ごうとしたものです。
秀吉は東海道に配置した自分の腹心が後に家康に寝返り打とうとは思いもよらなかったでしょう。
さて、家康ら三河衆が江戸城を見て驚いたのは、その粗末さでした。
低い土塁が取り囲むだけで、海辺へ出入りする木戸が数ヶ所、城門など無く、
主要の建物は板張り、玄関には 、船で使う板が敷いてあった。
そして台所は土間。
これには流石の質実剛健で知られた三河衆も驚いたと云います。
この頃上方では信長が始めた石垣が普通でしたが、関東では依然として
土を掻き上げて作った土盛が主で、江戸城もこれに倣いました。
関東で石垣が登場したのは、秀吉の小田原攻めの頃、八王子城に登場したのが始まりでした。
ただ強度的には石垣と遜色は無く、今も残って存在感を示してる
江戸城桜田濠・鉢巻土塁。
これなどは土盛の傑作ともいえる美しさであると思われます。
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