土用の日 1


土用と云えば「ウナギ」。


精を付けるには、俗に「う」の字が付くものを食べろと云われました。


 土用は1年に4回ありますが、現代でいえば7月が知られてます。


しかし、江戸時代は、旧暦なので6月1日が土用の日でした。


この日は、富士山の山開きの日でもあった。


富士山信仰が盛んであった江戸では、講を組んで金を積み立てて


元気な方は富士山に行き、女性や体の弱い方は


江戸府内に多く作られた人口山を富士塚と呼んでお参りに行ったものです。


 都内でできる富士登山!? 東京に残る富士山信仰の名残「富士塚」10選の1枚目の画像


又、土用の入りには湯屋では桃葉湯をして客を迎えました。


客は、通常は湯銭が6文ですが、この日は倍の12文をおひねりのようにして


番台に置いてある三宝の上にのせたのです。


これは、正月の初湯、5月の菖蒲湯、冬の柚子湯と同じでした。


 


鰻は江戸前という言葉を初めて使ったといいいます。


江戸前の鰻といえば深川の産が大きさは中なれど美味なりとされ。


深川より上流で取れた鰻は大きいので好まれなかったようです。


ちなみに江戸前とは、隅田川河口を中心として品川と深川を結ぶ線の内側の海の事で


そこで取れた魚は、江戸前と区別され値段も高かったようです。


鰻は古来から強精薬として知られ「万葉集」でも大伴家持が歌に詠ってます


石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ とり食せ」


鰻を食べて元気をつけなさいという励ましの歌です。


しかし、初期の頃の鰻の調理法と云うのは、単にぶつ切りにして焼いただけですから


油濃くて肉体労働者向けで、味噌や酢で調味された味は


とても美味しいとはいえるものでは無かったようです。


実際に、作って食べた方も同じ感想でした


これが江戸時代、後に大御所の世と明治になって懐かしがられ


江戸文化の爛熟期を迎えた化政年間の頃になると


濃口醤油の登場などで調理法が完成され、


非常に美味しいものとなり人気を呼びます。


売り上げ不振に悩む鰻屋に依頼され有名な広告文「本日丑の日召しませ」の看板を出させ


売上増加に貢献した平賀源内のアイデアもありました。


油っこい鰻を食べるために割り箸も考案され、歌舞伎を見ながら温かい


鰻と飯を一緒に食う事が出来る鰻丼も誕生しました。


江戸は飯の上にたれをかけるが、上方では、飯の間に蒲焼を挟む


それを飯蒸(ままむし)と呼び、それが「マムシ」になったという。


2 件のコメント

  • 10日お墓参りの帰り「ウナギ」食べて来ました、東松山のえ~~と藤?とか
    何時も暑い中あ疲れ様です 東京より暑いですね!

    • コメント有難うございます。
      暑くなったり涼しくなったりと合わせるのが大変です。
      どうぞ、お体に気を付けて下さい。
      鰻も食べる機会が少なくなっていて、段々縁が遠くなってます。

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