戦国こぼれ話 1-2

 

上の写真は春日局のお墓ですが、石塔の真ん中に大きな穴が


開いてます。


これは何時までも世の中を見渡していたいという希望によるという。


 


春日局と書きましたが、当時は、無位無官であり、家光の乳母でした。


後に秀忠娘・和子入内の朝廷工作のために称号が必要であったために、


朝廷に参内昇殿できるように位を貰ってから春日局といわれるようになった。


家光が将軍の座に付くと次第に春日の権勢は並ぶ者が無いほどになり


後になると、将軍のの子の乳母に選ばれた女は、


顔を子に覚えさせないように、顔に頭巾をかけて


赤子に授乳させるようになったのです。


乳母として春日と同じように権勢を持たせない為でした


 


11代家斉は55人の子供を産ませ、流産・死産した子は勿論含みません。


家斉に当時仕えていた御庭番の川村家の当主が御細工頭を務めてたが、


その日記を見ると2度ほど中絶のお手伝いをして、ご褒美に銀を頂いてる。


どうも、普通の女中ではなく、手を付けてはならない御女中であったらしい。


これだけ子が多いと、当然ながら乳母の数も多く、20人以上の数がいて、


江戸城の図面にも乳持の間という記述があったくらいです。


乳母は最初は旗本から選出し、後には、御家人の妻まで資格を拡大させた。


理由としては乳が出ないからです。


将軍の子に授乳するという事から緊張しストレスから出なくなってしまう。


やむなく資格を更に拡大し庶民からも採用させ、甚だしきは、駕籠かきの妻もいた。


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