八朔 3

 

旧暦の8月1日は、八朔でした。


白装束に身を固めた各大名・旗本たちは将軍に祝いの言葉を贈りました。


大奥も白一色の衣装で祝ったと云います。


民間では、八朔は、「田の実の節供」または「頼みの節供」ともいい、


収穫したばかりの早稲の稲穂を世話になった人に贈って豊作を


祈願する日でもあり、武士も庶民も八朔の贈答をした。



これは吉原遊郭にも広がり遊女は白無垢を着て客をもてなした。


勿論、吉原に家康が入城したのではなく、暑い夏の頃


遊女が具合悪く休んでいたところ、客が来たので、やむなく近くにあった寝間着である


白無垢を着て応対したところ、大変好評であったために、その後、八朔の祝いとした。


吉原には、紋日というのがあり、この日は、料金も御祝儀も倍になるが、八朔もその紋日の一つでした。


遊女は、この日休む時は、客がいなくとも居るものとして


その分の揚り代や祝儀も何故か自分で負担しなければならなかった。


従って遊女は、客が必ず来るように何か月前から恋文を出し、客が来て貰えるようにお願いをしたのです。


女性はひらがなだけ教えて貰ってるのでひらがな文で書きます。


今ならメールですが当時は書状でした。


吉原の遊女は地方から来た少女に字を教えていて


そこが吉原と他と違うところであり、もし書けない遊女は


文使いという恋文を書いてくれる職業の人もいたのでお願いした。


 客を呼ぶと云うのは今も昔も大変なのです。


遊女の恋文というと、高尾大夫が仙台藩主の伊達綱村に出した手紙が有名で


これは、高等教育を受けてないと書けないくらいの格調高さと優しさと心配りに満ちた手紙で


これは男心を大いにぐらつかせた事でしょう。


こちらは英才教育を受けてるので漢字交じりであることは当然です。


 ちなみに白無垢は厚い打ち掛けの事で当然ながら着ると汗だくになってしまう。


一流の遊女は作っていたが、普通の遊女は年に1回着るものなので借りて済ませたそうです。


江戸の町には、今のようなレンタル屋さんがいて、損料屋として商売をしていて


何でも貸しました。


一番の人気は、男が借りる褌で、値段は高く150文でしたが、洗って返す手間も省けるので


独身者には好評だったのです。


江戸っ子のセールスポイントは、白い歯と褌でした。


 


 


 


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