真田丸 7
先ず、着るものです。
帷子(かたびら)を3枚、腰巻も3枚重ね着した。
その懐に豊臣秀頼から拝領した鏡を入れ、
更に腹が減っては戦が出来ないと思ったのか、
下女に作るように頼んだ蕎麦焼きも入れ、
途中何か起こるか判らないのでお金も入れます。
竹の筒に金の大判に金を流して作った竹流し金を数本、
これは非常に役立ちました。
地獄の沙汰も金次第とはこのことだった。
城を出て城門まで来ると、そこには、武門の象徴である千成瓢箪の馬印が
捨てられてあったのです。
驚いたお菊は、そのままにしておいては御家の恥だと思い見えないところに置いた。
これは、勝った徳川軍も野外で真田幸村に急襲され家康の本陣が壊乱状態となり
家康を守るべき旗本も逃げてしまい、旗印が置き去りになった事からも
後退する場面では収拾がつかなかった事が判ります。
戦後、伏見城でこの責任を巡っての会議が行われ、
逃げたと絶対認めない家康と大久保彦佐衛門が激論となる。
家康の云う事を聞かない大久保をこれ以降、ご意見番という名がついたという。
逃げたというと、家康が武田信玄と三方原で決戦をした時に
武田軍のとてつもない強さに惨敗し、馬に乗って逃げたが、
恐怖のあまり乗ったまま脱糞し逃げ戻ったのです。
ただ、家康の偉いのは、逃げ帰った姿を絵に描かせて教訓としていた事でした。
さて、落城の城から逃げようとするお菊が外に出ると、
錆刀を持った髭面の男に出会ってしまい金を出せと脅されたのです。
そこでお菊は、懐から竹流し金を2本出して勘弁してもらい、
ついでにもう1本ちらつかせて道案内を頼んだのでした。
用心棒代わりでもあった。
目指すは、かつて祖父が仕えた藤堂家の陣営でした。
次回は思いがけなく助けの神にめぐり合う話です。
こんにちは
先日善光寺行きましたがあちこちに真田丸の幟が立ってましたよ。
やまちゃんさん。
ご覧なっていただき有難うございます。
信州は真田ブームだそうですね。
赤い幟が乱立していましたか。
目にも鮮やかだったでしょうね。