真田丸 4
再び女性の衣装について。
戦国の着物というと、袖は筒袖で、これが、時代とともに袖が大きくなり、
江戸時代になると肌着だった小袖が表着として定着し、
それが段々袖が大きくなり振袖の誕生となるわけです。
帯も戦国は紐状のもので、それが時代とともに段々太くなって行くのです。
有名なのでは、お太鼓帯があります。
江戸の亀戸天神の中に石の橋がありますが、その橋が開通したときに、
深川の芸者衆が揃ってこの帯をつけたことから有名になりました。
橋の名もお太鼓橋と呼ばれたのです。
この帯が出現して以降帯締めや帯上げが登場したのです。
ちなみに絵は広重の描いた絵ですが、絵の中に一際濃い藍色がある
ベロ藍とも呼ばれました。
これは、当時新しく輸入された絵の具で、最初は葛飾北斎が好んで
使用したが、後に広重がこよなく愛用したことから有名になりました。
北斎や広重の絵は、モネやゴッホなどの西洋の油絵の画家に非常に
大きな影響を与えたといいます
現代は、5月29日は語呂合わせで呉服の日と云われるそうですが
当時は、着物が当たり前の時代です。
女性の場合、何か一つが変わるとそれに連動して、
他の部分も大きく変わっていきました。
次は、「おあむ」と同じ女性で当時、大阪城内で淀君に仕えた
20歳の女性が大阪城落城の日の劇的な脱出の話です。
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