江戸の初午
2月になると初午です。
上の絵では子供が馬の絵を持って、これを奉納すると願いが叶うといわれていた
「伊勢屋稲荷に犬のくそ」
これは江戸で多いものを称した言葉です。
稲荷社は非常に多かった。
1つの町に3から5つの稲荷があったといわれます。
「稲荷」という言葉は、京の伏見稲荷の由緒によると、
的にして射た餅が白鳥と化して飛び、その留まった山で稲と成り。
という記述があるので、稲成りから稲荷になったと思われる。
農耕の神様です。
それら稲荷社が2月の初めての午の日に行う祭りが初午祭でした。
これは今とは違い非常に賑やかで町中を笛太鼓で練り歩き、奉納神楽も演じられた。
子供達も太鼓を鳴らして夜中まで騒いだのです。
子供たちにとっては、丁度、寺子屋に入る時期であり、
この祭りを期に寺小屋に入りこうして遊ぶのもこれが最後となる。
12,3歳で商家で丁稚奉公、或いは職人に弟子入りし、女の子も同様に女中奉公でした。
12,3才ですから女の子の女中奉公は、子守が多かった。
商家の場合は、忙しいので子供の面倒を見れないのでお任せするのです。
勿論、乳児がお乳を欲しい時は急いで家に帰ってあげる。
当時は、乳幼児の死亡率も高いので乳の出がよくしかし、赤子はいないので
乳盛りをする人は多く、乳兄弟として人生での長い友達となったようです。
初午というと王子稲荷が有名です。
境内では、凧市が盛大でした。
火事と喧嘩は江戸の華と言われましたが、強風でも風を切り裂くように上がる凧は
火防の守り札として人々に愛されたのです。
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