土用の日 3





  この夏の時期の果物では、スイカや真桑瓜が多くありました


葡萄や梨も勿論ありましたがまだ生産は少ない。


この頃の西瓜には縞模様は無い。


ただ、スイカは今ほど甘くもなく砂糖を付けたくらいであり


切り口が赤いので嫌われ、特に若い娘にとって、大口を開けて食べるには、


抵抗があったようです。


それに対して、真桑瓜は人気で特に徳川家康が大好物で、


産地である美濃国の真桑村から人を江戸に移住させて作らせた。


今のメロンのようには甘くはないが瑞々しさや果物の甘みは十分で


水菓子として愛されました。


菓子は本来、木の実などを指していてそれを菓子として食べていて


その後砂糖が出回るようになると、砂糖を使用したお菓子と区別して


果物を水菓子と呼ぶようになり


食事の終わりに供せられ今も本膳料理などに名が残ってる。


 


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着物の土用干しもあります。


絵では西瓜が切ってあるのが見えます。


他方では着物を部屋に紐を張ってそこに干してます。


着物だけではなく書物なども干します。


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江戸城の紅葉山には東照宮の傍に書物蔵が3棟並んであり、


そこには、家康をはじめとして代々の将軍が蒐集した書物があり、


「御文庫」と呼ばれました。


それを管理するのが「御書物奉行」でした。


御が付くのは将軍だけが見ることに敬意を表している。


ちなみに図書館などであるが蔵書印は無い。


将軍だけのものであるから必要ではないと云う事なのでしょう。


勿論、御三家・大名などにも貸し出しをした。


彼らからの献上の書物も多数あり、その時には、もし重複してるものは除外され、


出入りの業者を呼んで競りに掛けられた。


世間で出回る御文庫の本というのがそれであり、貴重品扱いでした。


権現様・家康関連の書物は、他の将軍の書物とは管理も区別され


書物を干すときにも、周りを曼幕で囲い特に注意を払った。


土用干しは、湿気の少ない好日を選び書物も風干しされたが、


係員一同斎戒沐浴し、泊まり込んで事に臨んだといいます。


当時の本は和紙で出来ています。


今のように表紙が厚くないので縦に並べることは出来ず


櫃のようなものに平積みでした。


その為か書物を痛める害虫も発生しました。


紙魚(しみ)と呼ばれる虫に糊を食べられて和紙がボロボロになり、


その修理は大変で、千切れた紙の破片を集めて復元するのですから


時間も手間も修理技術も要しました。


家康は、あの生死も定かでない戦国時代のさなかにも1万冊の書物を集め


厳重に管理させたそうで、どこにそんな暇があったのかと凡人は思ったりします。


御文庫は、今も内閣文庫に引き継がれています。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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