端午の節句
来る5月5日は端午の節句です。
元々は、月の初めの午の日に行われ,午は5と同じであることから
数字の重なる5月5日になり、端午の節句と呼ばれました。
5節句は、奇数月に3月3日とか9月9日とか、数字の重なるのは古代中国の影響でした。
奇数という意味では、式3献(こん)が武将の出陣式に用いられ、それが、
今の結婚式の三三九度という形に残り、本膳料理も七五三の膳組でしたが
懐石料理では、偶数の膳組に変わり日本独特のものになり、
その料理の組み合わせや順序はフランス料理にまで影響を与えました。
3月の節句は女の子の節句ですが、5月の節句は菖蒲の節句といい、
菖蒲湯にも入り、これは今も残ってる習慣です。
又、尚武にも繋がる事から男の子の節句と云われます。
江戸時代は、武家屋敷ですと旗差し物や兜人形を飾り男子の成長を祝い、
庶民は、香りの強い菖蒲の葉を家に飾り厄除けとしたのです。
今のように鯉のぼりを飾るようになったのは、江戸後期のことで
但し,今のように錦鯉は普及してなかったので真鯉でした。
鯉は、料理の世界でも魚類の最高位に位置しました。
鯉は、中国の黄河を遡上し龍門を登ると鯉は龍になるという伝説からで
これから登龍門という言葉も出来ました。
江戸時代は、乳幼児の死亡率が異常に高く、 特に武家階級は高く、
11代将軍家斉は、あまりに子女の死亡が多いので、奥医師らを呼び
前例に捉われず処方するように指示したが結局改善されなかった。
これは、医療技術の低さや環境の劣悪さ、及び、奥女中は
鉛から作った白粉を全身に塗り、それを乳幼児が吸収したことも
関係有るのかもしれない。
現代の遺跡発掘調査でも、女性だけが使用した厠などからは
多量の紅花や鉛が検出される事からもあてはまる。
紅花は、口紅の原料として使用された高価なものですが、
婦人病にも用いられたようです。
江戸時代は、5人くらい生まれても全員が成長することは珍しい事で、
無事に子供が成長し、お祝いの行事をすることを大いに喜び祝ったのです。














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