江戸の小正月
江戸城では、黒書院で家康が愛用した歯朶の鎧が飾られました。
まだ家康の手垢が付いていたそうです。
別名、具足開きともいい、甲冑などの武具の脇に供えた鏡餅を割る。
この時切るのではなく必ず手で割ります。
鏡餅は丸餅です。
餅の事を宮中言葉では「カチン」と呼びました。
鏡餅は太陽を意味し稲作民族であった日本では、
稲を育ててくれた太陽に感謝の意味を込めてお供えしたのです。
お正月に訪れる歳神様は、鏡餅に宿る。
「源氏物語」にも、「餅鏡」(もちいかがみ)と記されている。
「餅」という字は奈良時代からあり、「もちひ」と呼ばれていた。
光が当たると輝く鏡餅は、太陽そのもので、
多くの神社の御神体となっている。
歳神様がやってくる方角を「恵方」といい、
我々に、歳魂(生命力)を与えてくれるのである。
1月15日は小正月、別名・女正月といわれました。
この日ばかりは、女性は台所に立つことはなく、男子が厨房仕事をしたのです。
又、左義長でもあった。別名、「どんと焼き」の日です。
正月に飾られた門松や松飾りを焼いたのです。
門松といえば江戸の門松には変なのもありました。
例えば、大名の佐竹家20万石の上屋敷の「人飾り」があります。
これは松飾りなどはしないで屋敷の門の左右に足軽を3人いる。
但し、訪問する客がいても一切は挨拶もせずに言葉も交わさない。
ただ、前を見て立ってるだけで、これを佐竹家の人飾りと呼ばれ江戸の名物でした。
由来は、天草四郎の乱に動員された佐竹家は正月にも拘わらず
苦戦を伝えられた戦の結果を待ちわびて門の前に人を立たせておいた事から
始まったといわれ、戦が勝ち戦であった事から吉例となったようです。
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