戦国こぼれ話 1-10



口に偽りを言はず、身に私を構へず、心直(すなお)にして作法乱れず、


礼儀正しくして上に諂(へつ)らはず、下を侮(あな)どらず、人の患難を見捨てず、


己が約諾を違ヘず、甲斐かいしく頼母しく、


苟且(かりそめ)にも下様の賤しき物語り悪口など話(ことば)の端にも出さず、


譬い(たとい)恥を知りて首刎ねらるゝとも、己が為すまじき事をせず、


死すべき場を一足も引かず、其心鐵石の如く、


又温和慈愛にして、物の哀れを知り人に情あるを以て節義の嗜みと申すもの也。 」


薩摩藩の教育


教育の眼目は「義を言うな」(文句を言うな、お先師(目上の人)に従え]。


教科書としては、島津家の祖と言われる「島津忠良」のいろは歌、


島津の名将と言われた「新納忠元」の「二才咄格式定目」の二つ。


要点は、武道に親しむこと、嘘をついてならないこと、弱い者いじめするな、などが挙げられている。


 


稚児組  6才~10歳までの小稚児。  11歳から15歳までの長稚児


二才組(にせ)  15~25さいまで


長老組(おせんし)25歳以上


郷中(ごじゅう)それぞれの屋敷にて鍛錬。


月に六回の「式夜」で吟味され、これを著しく外したしたものは「郷中放し」、「義絶」といい、共同絶交になる。


 


関ヶ原の戦いを思い出すように、その「日には、青少年は朝から集まりその当時の藩主の墓まで


走っていくことが定例だったそうです。


又、当日の戦の模様を聞きに語り手の家に集まり、正座して聞き


特に、関ヶ原戦で西軍の敗北が決まり、その後、撤退を決意し、勝利を決めた東軍の


門前を堂々と一団となって陣列を崩さず退却する薩摩軍とそれを激しく追撃する東軍との


苛烈な退却戦の模様を語る語り手の口調に感動をするのが常であったといいます。


薩摩の先鋒としては、攻撃の時も退却戦の時も犠牲を強いる戦法なのです。


攻撃の時は、縦深が敵の隊形であっても真一文字に真ん中を攻める為


先鋒は全滅を余儀なくされ。退却の時も「捨てがまり」といって


殿戦をする部隊は敵を釘付けにし、当然ながら自己犠牲を払って味方を逃がす。


関ヶ原の戦いの時は、総数1700の内、薩摩に戻れたのが僅か70名であった。



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