江戸の恵方参り




 



 明日は節分、店では恵方巻が売り出されています。


昔は太巻などと呼ばれていたそうですが、コンビニの逞しい商戦略のおかげで


恵方巻という名で定着してます。


具も種類も豊富で一杯入っていてさまざまな味が楽しめ、しかも美味の為に人気があるようです。


恵方というと、江戸では正月の元日は家でじっと静かにしてますが、


2日になると恵方参りをした。


恵方とは、歳神(としがみ)がいて毎年干支によって変わるが


その年の歳神が居る方角を恵方と言いました。


従ってお参りは自宅からみて恵方にある神社仏閣をお参りしたのです。


当然ですが、歩いて回りますので朝早く起きて家を出ます。


江戸人がどれくらい歩くかというと、成人の男性ですと1日10里(40キロ近く)


老人女性なら8里といわれてます。


各街道の宿の間隔が丁度8里から10里となってるのもその関係なのかも


今の女性で1日30キロ以上歩けと言われて歩けるのでしょうか?


実に建脚であったのです。


しかし、もっと足の達者な方もいます。


大名行列の足の速さです。1日に12,3里は歩いた。


♪「お江戸日本橋7つ立ち 初のぼり」という歌があります。


朝の4,5時ころに宿を立ち、、高輪あたりで明るくなるので提灯を消します。


 そして旅籠に入るのは日が落ちてからで、何しろ経費削減のために宿泊を減らした。


だから、歩くというより小走りの状態であったそうです。


従って、着てるものは歩きやすいものであり、「下に~下に~」の状態とはかなり違ったものでした。


「下に~」をするのは江戸や国を出入りする時だけで、


あとは道中でライバルの大名の城下町を通過するときだけだった。


ちなみに初のぼりとは、江戸にある越後屋などの上方の大店は、


従業員は、上方の地元の人間だけしか採用しません。


大店には、女性はいませんで男のみで、台所なども男だけでした。


従って婚期が遅く30歳を過ぎてが多かった。


丁度30歳というのは手代に昇格となりますが、ここで選別が行われます。


幹部として残れるかどうか分岐点でもありました。


地元で採用された少年達、12、3歳くらいですが、店で勤務するために江戸に初めて来る事でした。


そしてお休みは年に2回でしたから家を恋しいと思ったのは当然の事でしょう。


3年後に初めて藪入りで家に里帰りするまで長い年月があったのです。


迎える親は、3年ぶりに見るわが息子の成長には目を見張るものがあったに違いありません。


 


 


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